小さな部屋に守られていた実感
2007-12-05


軽いむち打ち病は相変わらずで、今日も両腕のひじのところまで、しびれています。寝返りうてないのも、起き上がるのが大変なのもそのまま。痛み止めの薬は、飲んだ直後だけ効きます。結局、考えてみれば、大会前日の土曜日夜にやってしまったむち打ち。さすがに、行きたくても行きたくなくても、泳げないのだから、プールは行かれないのだけれども、きっと、仲間はおとといの大会で、ふてくされていて来ないと思うだろうな。だけど、前日にやってしまい、その上で翌日、リレーに出たとも言えないし。何か、うまい言い訳はないものでしょうか。

 今日は有休をとって、自宅近くにかりていた部屋の荷物まとめを、朝からやっていました。2月から借りていた部屋ですが、この10日で期限をむかえ、延長することは考えませんでした。結局、あんな小さな部屋でも、家を2軒管理しているようなもので、それが大変だと気付いたから。その代わり、家で仕事をするのは大変になりそうです。こうなったら、いちいち、都心のオフィスに戻ったほうが、仕事自体ははかどるかもしれません。

 そこで寝泊りしていたわけではないので、たいしたものはなく、書類、書籍、事務用品、キッチン用品と、食器類、それとわずかな日用品を荷造りしました。ダンボールに詰め、部屋の一箇所にまとめてしまうと、部屋は何てがらんとしてしまうものなんだろう。ここは、わたしにとって、一種のシェルターの役割もしてくれたことがあります。

 愛読書モンゴメリの『Anne of the Island』(日本語だとアンの愛情?だったかな?)のなかで、アンの友人のフィルが、「人が思いを抱き、暮らした部屋は、それ自体が“人格”を持つもの。」というようなくだりがありましたが、今日はまさにそれを感じたでした。こんな部屋でも、いっとき、わたしと時間を共にしたことを思うと、感慨深いものがあります。
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